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生産性の低い軍事産業から人材が解放されたからである。 冷戦下であればミサイルの軌道を計算していたはずの数学者が、パソコンを設計するようになったのだから、経済成長が加速するのは当り前である。
ベルリンの壁が崩壊するまでの日本経済は、他の諸国が冷戦を闘うコストを支払わされている中で、1人だけ軽い重量を背負った有利なハンディ戦を闘っていたようなものである。 ところが、一部の日本人は、そのハンディを忘れて、自分たちが世界でいちばん効率的な経営をしていると思い上がってしまった。
80年代までの日本では、会社は、サラリーマンのためにあった。 経営者も広い意味でサラリーマンであり、日本企業のコーポレート・ガバナンスはサラリーマンの自治統治であった。
サラリーマンの取り分は、出資者から見れば経費である。 出資者は、売上からもろもろの経費を差し引いた残りを取り分とする。
サラリーマンの自治統治の下では、出資者である株主の取り分は少ない。 それが問題にならなかったのは、株式は企業同士で持ち合いされていて、出資者としての取り分を期待する生身の人間がいなかったからである。
90年代に入って、その状況に変化が生じた。 コーポレート・ガバナンスにおける出資者の利益が重視されるようになった。
なぜか。 日本社会の構造が変化して、出資者の取り分を期待する生身の人間が増えたからである。
80年代までの高成長と90年代の長期低迷。 いったい日本経済に何が起きたのかと不思議に思う必要はない。

冷戦が終わって、世界の他の国、特にアメリカが、冷戦を闘うコストを支払う必要がなくなった。 冷戦というハンディがなくなってみたら、日本は、ごく普通の国であった。
それだけのことである。 かつては、日本全体が貧しかった。
生身の人間は、みんな、従業員としての取り分に頼って生活していた。 社会全体が貧しいから、企業は十分な出資を集められない。
事業に必要な資金は銀行が提供した。 銀行融資は、土地を担保にして行われる。
昔からの住宅地で、自宅を担保に銀行から融資を受けて、喫茶店を始めたようなものである。 銀行に利息を払った残りは、すべて従業員である家族で分けてしまう。
出資者は存在しないから、取り分を要求することもない。 日本全体が、そういう状況にあった。
しかし、そういう状況が長く続けば、やがて、使い切れないカネが余り出す。 戦後半世紀近くにわたって経済が順調に成長した結果、日本は豊かになり、社会の構造が変化したのである。
自己資本が充実した企業は、だんだん銀行からカネを借りる必要がなくなった。

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